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 コミケ終了後、その足でお台場で開催されていた「GREEN TOKYO ガンダムプロジェクト」の会場に行ってみました。

 夏コミであまり購入しなかったので手荷物が少なく体力にも余裕があったので、徒歩で移動。徒歩で移動しようと思ったもうひとつの理由は、どの辺りからガンダムの巨像がちらとでも見えるのだろうと期待していたからです。夢の大橋を渡り、ヴィーナスフォート、砂浜を通り過ぎ、30分ほどで到着。高さが約18メートルもあるということで、砂浜あたりで、ガンダムの頭部くらいは見えるのかなと思っていたら、なんと会場に入るまで一切見えなかったのには驚きました。高さ18メートルあって、こんなに近くまで来ないと視認出来ないという事は、リアルにこのような軍事用ロボット兵器が存在し市街地で戦闘が繰り広げられていたとしたら、市民がロボットを視認したときにはもう逃げられない状態になっているかもしれないということです。少し恐ろしいです。フルメタルパニック!で登場するロボット、AS(アームスレイブ)は高さ8メートルとさらに小型で、こうなると市街地で自分がいる場所から建物を挟(はさ)んでロボット同士で戦っていたとしてもロボットの足音や銃声などの大きな音が響くだけで、それ以外は何も分からないままいきなり建物が崩壊してきて・・・・・・、なんてことになるのかなと想像してしまいました。

 会場に到着して、実際にガンダムの立像に触(さわ)れるということで、そのための行列に私も加わりました。そして、順番がすんなり回ってきて、ガンダムの真下まで来たときに思ったのは、意外に足底や掌のサイズが小さいんだなということです。アニメなどでこのような巨大ロボットが人を踏んづけようとする場面があったりしますが、それは少し無理があるのかなと思いました。そこまで大きくは無かったです。ロボットが人間を握り締めて・・・というのも、サイズ的に厳しそうです。となると、上述したこのガンダムよりもかなり小さなアームスレイブではもっと無理があるわけで、フルメタルパニック!で相良宗介の搭乗する「ARX-7アーバレスト」が千鳥かなめを掌に乗せて運んだシーンは成立しないのかなと思ったりしました。

 ガンダムの脚の外装を触ることが出来ましたが、これは何の素材で出来ているのでしょうか?まあ、実用可能なロボットを造ったわけではなくあくまで立像を造っただけのものなわけですが、実際にミサイルが当たったとしたら木っ端微塵であるに違いない脆弱さを思わせる、そんなプラスチックでした。でも、逆に攻撃に耐えうるほどの強度を持つ外装って、どういったものになるのかとも考えてしまいました。薄い素材では無理そうだけれど、分厚くすると重量が大幅にアップしてしまうだろうからです。こんな巨大ロボットよりは近い将来に実用可能になるであろう、人間が装着できる人間の動作を補助・強化するためのパワードスーツでも現時点ではかなりの重量があります。より軽く強度もある素材なんかが今後必要になり実現していくのかなと思うと少しわくわくしたりしました。

 会場に着いてから、実際にガンダムに触れ、会場を離れるまで、ものの10分ほどしかいませんでしたが、今後アニメなどでロボットが登場した時にはこのガンダムのサイズが脳内で妄想する時に非常に役に立つでしょう。そう考えるとガンダムの実物サイズを目(ま)の当たりにすることが出来たのは非常に貴重な体験でした。2009年8月いっぱいの公開でこのガンダム像は解体されてしまったのですが、また復活してほしいものです。



蛇足

 「GREEN TOKYO ガンダムプロジェクト」の「GREEN TOKYO」って一体なんでしょうか?すごく胡散(うさん)臭いです。

 そもそもガンダムって、結局のところ「殺戮兵器」です。何処まで行っても戦争の道具です。それを緑化の象徴というコンセプトを持たせようとするのは無理があるように思えてなりません。

 さらに、これをオリンピック招致のアピールにも利用するそうですが、平和の祭典でもあるオリンピックと殺戮兵器をリンクさせようとする発想はすごいものがあるという驚きでいっぱいです。「ガンダム30周年記念として造る」、これだけで十分なのに、と思ってしまいます。緑化アピールやオリンピック招致の宣伝とか必要なかったのではないでしょうか。私は、アニメ大国としてのアピールといった形で建立(こんりゅう)してみたというだけでいいのに、と思うのですが。


追記

・アテネはオリンピック発祥の地なので構わないと思いますが、今までに2回開催した都市って存在するのでしょうか?日本でやるなら、別の都市で立候補したほうが誘致しやすそうに思います。開催地がもし東京で決まったなら、私は大いに楽しみたいです。けれども、私が招致委員であったなら、「一回も開催されてないところがあるというのになぜ東京が立候補するのか。」とまず候補から消すでしょう、きっと。

・私は毎回アテネで開催するのが一番なんじゃないかと最近考えています。そう思ったのには、いくつかの理由があります。まず、環境の点で。毎回毎回五輪が開催されるごとに世界中に箱物を建設していくわけです。環境のことを考えるなら、ひとつの場所で同じ箱物を使って行うほうがいいはず。とすると、開催地をアテネで固定すれば良いじゃないかと思うのです。二つ目、映画祭のことを思い浮かべて。ベルリンなどで映画祭が開催されていますが、この「お祭り」は都市名がついているから当然ではあるのですが同じ場所でやっているなあと。それならば、どうしてオリンピックは開催地をころころ変えるのかなと不思議に思ったのです。もうひとつ、「聖地」として。今年も高校野球の季節です。たとえば高校野球には「甲子園を目指す」という、場所自体にも大きく意味がある感じがします。テニスのウィンブルドンのセンターコートも然(しか)りです。同じところでやれば、「このトラックで走りたい。」などといったことになったりしないものでしょうか。スポーツの「聖地」という意味合いがあるほうが、シチュエーションとして燃えるのですが、いかがでしょうか。
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2009.09.30 Wed l アニメ l top ▲
 2009年8月14・15・16日に開催されたコミックマーケット76、東京ビッグサイトを訪れたのは3日目午後のみでした。私は今回も企業ブース巡りがメインでしたが、今年は購買欲があまり沸(わ)かず、買ったアイテムはごく僅かでした。そのため、数時間の滞在でも十分事足りたかなと思います。

 というのは、まず毎回コミケ前の下調べで必ずといって良いほど最初に調べるTYPE-MOONの商品に特別欲しいものが無かったからです。たとえTYPE-MOON関連であっても、イラストとしてはあまりに小さい、値段の吊り上げのために入れているとしか思えない無用の長物であると私は考えてしまう「テレホンカード」が入っていたので、購入意欲が乏(とぼ)しくなってしまったのです。結局型月のアイテムはひとつも買う事はありませんでした。Fateにイリヤルート追加などの新たな展開でもない限り、次回のコミケでも欲しいものが出てくるか分からないと思うようになっています。

 今回買いたいアイテムが少なかった理由の最たるものは、日常で使うグッズがこれまで購入してきたものでほとんど揃ってしまい、これ以上買っても日の目を見ない物と化すだろうからです。コミケ76の企業ブースで売られているものの中で、これならば使うであろうと思えたのはひとつだけでした。「ジョッキ」です。グラスや湯のみはあってもジョッキは今まで私は見たことが無かったので期待していたんですが、ちょっと小さかった・・・。やたらとでかいサイズのジョッキを想像していたんですが、あのサイズで、あのガラスの薄さ、そんなに冷えないなとブースで見た瞬間に思いました。その時点で、私にとってコミケ76は終わりを迎えました。

 となるはずだったのですが、思わぬ収穫が。ホームページを見た時には特に食指が働かなかったものをよく見てみるとこれは面白そうと考えが変わったものがあったり、カプセルトイでアイテムゲットしたりなどなど、コミケ終了までの残り少ない時間、大いに楽しめました。

 今までと少し違うなと思ったのは、3日目午後でも企業ブースは人が多かったことです。戯画、Circus、minori、ユニゾンシフトなど名だたるエロゲメーカーが不参加だったにもかかわらず、それもまるで些事(さじ)であるかのように来場者数も過去最高だったようですし。ただ、これら大手メーカーが参加していなかったからなのでしょうか、エロゲメーカーが減ったような感じがしました。私としてはエロゲメーカーのほうがアニメ関連のブースなどよりも同人に近い感じがしてコミケに合うと思うのですが、今後のエロゲブースの顔ぶれや数の変化は気になるところです。また、ブース前でイベントを行(おこな)っていたところが増えていたのには驚きました。

 次回のコミケットでの企業ブースはどうなるのかな、と少し不安ですが、今まで見たことの無いような素敵なそしてできれば実用的なアイテムが出てきてほしいという希望を持ちつつ、冬コミを楽しみに待ちたいと思います。
2009.09.28 Mon l コミックマーケット76 l top ▲
 コミケ76前辺りにファルコムのPCゲーム「ぐるみん」をクリアしました。

 Beginnerモードをクリアしたんですが、ひとつのダンジョンをクリアするのに、そんなに時間かからず、サクサク進めたのは良かったです。2,3箇所悩むところはありましたが、それ以外は難無く、最後までクリアできました。あるボス戦もはじめはどのようにダメージを与えればいいのかまったく分からなかったんですが、日を改めて再チャレンジしたらあっさり倒せましたし。アクションは苦手な部類なので、Beginnerモードがあってよかったです。

 クリアしてみると、私でもNormalモードくらいならクリアできるかもしれない、と思えてきました。クリアしたデータを使うと、次に新規に始めるとき、それまでのデータを引き継げる部分があるので、時間が出来たらやってみようと思っています。

 シリアスもあり、ギャグもあり、とストーリーも良かったです。ラストも感動的でした。少し涙がにじみました。(本当に少しでしたが。)英雄伝説6空の軌跡FCの終章でのルーアン市にいた、大会にも出たあのキャラたちの行動にも胸打つものがありましたが、ぐるみんにも似た感じのものがありました。よくある展開なのかもしれませんが、大好きです。また、予想通りの展開もあったんですが、それも楽しめました。しかし、EDでこの物語の元凶が分かりましたが(多分そうだと思うんですが。)、ゲームを作った人はこの物語をやり終えた人にどんなメッセージを残したかったんだろうかという点だけは疑問に思いました。

 ファルコムの真骨頂というべきか、音楽は最高に良かったです。中でも好きなのが2曲、トロッコがあるダンジョンの曲と、一番強い敵がいるダンジョンの曲です。前者ですが、クワイヤー(コーラス)が大好き。後者は激しい曲の中、いったん音量が小さくなったピアノの演奏に変わりそこからまた一気に激しくなるその瞬間が燃えに燃えます。この2曲に出会えただけでもぐるみんをプレイしてよかったと心底思えます。

 ミニゲームは白熱しました。特にドクのところでプレイできるものは楽しかったです。ルールはきわめてシンプル、だけど熱くなります。他のミニゲームも良かったんですが、ドクのところのゲームだけ、より長くプレイしてしまいました。PCゲームで十分満足してしまったので、ぐるみんのPSPソフトの購入は全く考えていませんでしたが、このミニゲームを携帯ゲーム機でいつでもどこでも遊べるのなら買ってみようかなと少し思ってしまいました。このミニゲームだけ独立させてPSPでもDSでも、どの携帯ゲーム機でも良いので販売してくれるとうれしいんですが。

 ぐるみんをやったことで気づいた点があります。それは、ファルコムのほかのゲームシリーズと似たところが多くあるということです。物語の終盤のステージで気づいたんですが、イース6や英雄伝説6空の軌跡SCなどの終盤とグラフィックというか表現が似ています。ファルコムの同じメンバーが作っているから世界観も同じものが反映されているのかなと思いました。音楽も同様です。作る人たちが同じなのかなと感じました。似たフレーズをファルコムのほかのゲームで聴いた気がします。似た部分があることは私にとってマイナス要素でなく、むしろ、ファルコムのこの世界観を、この音楽をもっと味わいたいがためにまだプレイしていないファルコムのゲームをプレイしたくなります。東方でも思うことですが、その世界の雰囲気を思う存分堪能したいと思わせてくれる、そういったものがあります。

 この夏、「ぐるみん」のこのストーリー、このアクション、この音楽に出会えて、体験できて良かったです。




蛇足

 ぐるみんってどの年齢層をターゲットにした作品なんでしょうか?PC版をプレイしましたが、アクションはともかく、ストーリーはどうみても幼児から小学校低学年向けな気がしました。そういった年齢層をターゲットにした雑誌でのコミックといった形でメディア展開すると面白そうなのですが。(でもゲームだけ作り続けるというスタンスのほうがファルコムらしい感じもします。)

 グラフィックを重視してPSP版を作ったのでしょうが、ストーリーを堪能する年齢層を考えるとDS版を作ったほうが良かったんじゃないかと思いました。と言いつつ、DSでは性能不足という感じもしますが。着せ替えシステムがあるということからすると、結局は大きなお友達向けということなのでしょうか。
2009.09.27 Sun l ゲーム l top ▲
 コミケ76のカタログを買いに店に入った時、すぐさまこの本がお出迎えしていて、購入してしまいました。「新曲2曲収録」と帯に書かれていたので、買わずにいられませんでした。

 1曲目「魔法使いの憂鬱」はどこかで聴いたことのある作り、懐かしい感じがする、いつもの東方の音楽という感じ。この本を買ってよかったとこの曲を聴いて思いました。MP3プレーヤーに入れてパワープレイで聴きそうです。2曲目「スプートニク幻夜」は1曲目より激しいです。東方のゲームであれば2面の道中の曲としてあったかもしれないと思いました。どちらの曲も体になじむほどこれから聴くことでしょう。(夏ではなく秋以降に。)

 で、本体であるグリモアの内容ですが、たぶん200くらいの弾幕が載っていました。正直、弾幕自体は覚えていますが、それがどんな名前なのかを初めて知るものが私にとっては多いです。大体、弾を避けるのに必死でゲーム画面右上に表示される弾幕名を見る余裕など私にあるはずがありませんw

 私にとって印象深い東方の弾幕は、「東方永夜抄」で出会った、上白沢慧音の転世「一条戻り橋」です。私がクリアできた弾幕なので難易度としては易しいのかもしれません。「普段上から降ってくる弾幕が、逆方向である下側からやってくる、たったそれだけでこんなに避けにくくなるものか」というのが、私には面白い事象なのです。オンライン対戦ゲームでも感じたある「法則」に似ているから特に気になるのでしょう。攻めと守りは表裏一体のはずなので、本来攻め方を知っていれば守り方も分かるはず。それなのに攻めるときは強気な相手も攻められると非常に脆(もろ)くなる。たとえ相手が自分より強くても、です。しかも、その事実に気づいてる人がほとんどいないように見えるんですよね、これが。なので、今度は逆に自分の苦手な弾幕について、なぜ苦手なのかを知ると、ほかにも応用できるかもしれない・・・、ということを感じた転世「一条戻り橋」は私の好きな弾幕です。

 この弾幕を霊撃無しで避けることができるのかと特に思っているのは、こちらも「東方永夜抄」ですが、藤原妹紅の不死「火の鳥-鳳翼天翔-」です。名前をこの本で確認して、このスペルカードの備考には思わず笑いましたが、この大きな焼き鳥をどう避けて良いのか私にはまったく分かりません。クリアしたことの無いスペルカードは数多ありますが、このスペルカードは「理不尽だ」と思いました。この弾幕をクリアできる日が訪れたら自分に祝杯を挙げたいものです。

 ゲームプレイ中は弾幕を避けるだけで精一杯なので、この本を眺めるのは楽しいです。ページをめくっているときには余裕を持って弾幕を見ることができるので。私から見れば、新曲が収録されていたからこそ買った本ですが、読めて満足でした。




ここからは蛇足

 あとがきに、「他人のゲームプレイを見て有用なこと見出すことの危険」について書いてあったのですが、私にはその危険性がいまいち分からないでいます。ゲームがどうしてもクリアできなくて、何か助力が必要なとき、「プレイを見る」ことでプレイを進行できることはそんなに悪いことでしょうか?ゲームを作る側は作ったものすべてをしかと見届けてほしいのではなく、クリアできる人だけがゲームすべてを楽しめ、それ以外の人は楽しめなくても構わないのでしょうか?ゲーム以外で例を挙げてみると、たとえばライブイベント。どうしても行けなかった人がいてそれをDVDで観るという手段はあっても良いと思います。こういった例ならいろいろと頭に浮かんで来ます。東方で言えば、私には一生涯難易度LUNATICをクリアするのはできなさそうです。それを他人のプレイを見てこんなすごい世界があるのかと感嘆することは善しとされないのでしょうか。ライトノベルでも、どうも活字が苦手だという人は、それを原作とする漫画なり、アニメなりといろんな楽しみ方があります。ほかの人のゲームプレイを見ることができるというのは、そういった楽しみ方のひとつの在り方ではなかろうかと私は思います。

 それから、有用なことを見出したいという視点で物を見ているだけで有用なものを見出せるかといえば、そうではないこともあるでしょうし。たとえば、狭い部分しか注目しなくなるといった感じで。でも逆に、たとえば、血眼になって見つけようとしてはじめて見つかるものもあります。ゲームでも悠久の歴史の中から必死で真理を見出そうとしているものがあります。なので、一概に善悪は問えないかなと思ったりしました。

 まあ、肩肘張らないで楽しむぐらいが一番かなと思います。



蛇足の蛇足

 プレイを見るだけというのがなぜいけないか、の理由として、金銭という形での利潤が発生しない、もしくは利潤が発生したとしてもクリエイターに還元されないからなのかなと思いもしました。「見る」だけで「プレイ」しなくなることによる、利益の損失からゲームを作るための資金がクリエイターに回らなくなるといったことを考えた場合、他人のゲームプレイを見れることは危険だとは思います。

 以前、ゲーム業界が中古販売に規制が必要と考えても、裁判所は「NO」と言いました。この規制を認めてしまうなら、ゲームに限らずすべての中古販売はできなくなるでしょう。この影響度が非常に高いから「NO」と言ったのかなと思ったりもしています。

 何でこれを中古で販売して作った人間ではなく販売者が利益を得ているのかなと私が最初に思ったのは「車」です。開発にどのくらいの資金がかかっているのか分かりませんが、非常に大きな金額であることは確かでしょう。そして、技術を捻出するのも大変な作業です。それを右から左に流すだけで他人が利益を得るなんておかしいことだと思っていました。

 中古の話は、利潤を得るべき人間が得られないのが変な話だ、ということです。そして、同様にしてプレイを見るだけという行為についてですが、これは発生すべき利益が発生しないことにおかしさがあるのではないでしょうか。本当であれば、プレイした人つまりゲームソフトを購入した人だからこそ見れるものを購入していない人ですら見ることができる世の中になってしまっているというのが善くないことなのかなと思うのです。

 中古に関しても、ゲームプレイを無料で見ることができることに関しても、無くしてしまうのではなく、利潤を受け取るべき人間が受け取れるような社会とすることで存続していくことが良いんじゃないだろうかと私は考えています。
2009.09.26 Sat l ゲーム l top ▲
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