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 アキラマキナタナトスと融合してしまっているようです。今回、

「融合する事によって意識をひとつにする」

事へとタナトスは向かいつつあります。

このテーマで頭に思い浮かんだのは、「新世紀エヴァンゲリオン」の「人類補完計画」です。初めの2、3話しか見ていないのですが、「人類補完計画」については何となく知っていて、今回の話と同じテーマを扱っていると感じました。

 個々の意識の垣根を取り払い、ひとつにしてしまうこと、これが正しいのかどうかは分かりません。私にとって全くの未知のことなので。一般的に日本人には意識を統合する事に否定的な人が多いではないでしょうか。

 ですが、このような考えをテーマに持ってくる背景には現実の社会が影響しているのではないかと思っています。現代に至るまで人間の移動手段の進歩で物理的距離は極めて縮まりました。かつインターネットの発達が世界中の知識の集約に寄与し、地球の裏側の人間とでも意見交換をすることが出来るようになりました。これは精神的距離が大きく縮まった事を意味しています。(日本では隣近所との距離は逆に離れているようにも見えますが。)また、日本では無気力・無関心などが話題になり、個性の喪失が20世紀末には囁かれる様になりました。文部省(現在の文部科学省)が「生きる力」を教育の表題に掲げたのも、現実は逆であり、「変化の激しいこれからの社会を」生きる力をもてない人間、すなわち自発的に行動が出来ない人間が出てきたからです。

 物理的距離の縮小、精神的距離の縮小、「個」の喪失などは、「人類補完計画」や「タナトスに人類を融合する事」にベクトルが向いていると私は思うのです。

 私は融合したくありません。ジンの言う通りです。私にとっては、オンライン対戦型ゲームの相手もいなくなってしますし、マキナの豊満な胸を堪能する事も融合してしまったらできなくなる。それらはあまりに痛いです。色んな人間がいるからこそ、何かを生み出すことが価値になります。マンガもアニメも「意識の集合体」となってしまっては必要無いものとなってしまう事でしょう。そんなのは勘弁願いたいです。

 私も意識を集約してしまう事にはジンと同じく否定的です。意識がひとつに集約される事によってもたらされる利点が私には分かりません。だけれども、人類は意識の統合化に向かっていると感じているし、私自身もその方向に無意識に作用を及ぼしているのだろうと思います。それでもなお、アイデンティティを持って精一杯生きたいと思わずにはいられません。

 ドラゴンのマザーの「タナトス」という名前は、ギリシャ神話で死を司る神「タナトス」に由来していると思います。ということは、「意識の集合体」になることは、肉体という器から精神が切り離される事を意味していて、実質「死」と同義であることを示しているのでしょうか。ドラゴノーツ」も「」を扱う作品となりました。「地獄少女」、「シゴフミ」、「死神のバラッド」、「デスノート」・・・立て続けに「死」を題材にした作品がアニメ化されています。「死」を主題としていない作品であれ、仲間が戦闘で散ったり、「タッチ」の上杉和也のように子供を助けて自分が車にはねられたりと、「死」は多くの作品で取り扱われています。アニメ・コミックは文化と認識されるようになってはきましたが、まだ弱い立場にあります。しかし、社会現象を取り入れ、逆に社会現象を起こすほどになったアニメ・コミック。いろんなことを考えさせてくれるこれらを見続けて行きたいと思います。
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2008.03.21 Fri l アニメ l top ▲
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